リダクテッド
「イラク戦争におけるレイプ事件に関する話」という冒頭の説明を見て「カジュアリティーズ」と同じような話かと思う。
実際、そういう話である。
デパルマは監督だけじゃなくて、脚本も書いている。そういう話が好きなのか、この人は。そう思ってしばらく過ごした。
半日くらい過ぎてふと思った。デパルマは「カジュアリティーズ」を作り直したいとずっと思っていたのではないか。リダクト(編集)というキーワードはイラク戦争に関する情報を検閲されたとかいうことを指しているのではないのではないか。そういう意味もあるのかもしれないが、「カジュアリティーズ」を自らリダクトしたものこそ「リダクテッド」だったりしするのではないかと。
映画としては「カジュアリティーズ」も「リダクテッド」も厳しい内容である。とはいえ、「カジュアリティーズ」は嫌いな映画、「リダクテッド」は好きにはなれないが悪くない映画だと思う。
Webの動画とかチャットとか、ホームビデオとかの使い方がとても効果的かつ必然性に満ちている。手塚眞が「夢見るサイコ」で述べていた「デパルマ映画は語られる情報とテクニックが適切に組み合わせられている」というようなことが適切におこなわれていた。
最近、インターネットに関する描写を映画で見ることは少なくない。けれど、この映画は何かが違うような気がした。インターネットを映画で正しく使っている、と感じてしまった。
ビデオチャットを画面分割で見せるとか。YouTube的動画サイトの「残り時間グラフ」を見ながら「あ、後これだけの時間に何がおこるのか」とドキドキしていたのは僕だけか。
シロウトっぽい役者さんたちも、「カジュアリティーズ」における大げさな演技への後悔だったりしないか。「カジュアリティーズ」の音楽は全然覚えてないけど、実はやっぱり大げさな曲で、だからこそ「リダクテッド」の音楽はぐっと抑えたものになっているとか。
戦地から生還し、周囲から(もしかしたら観客からも)祝福されながら、自分は後悔にさいなまれて生きることを知っているマッコイ君。相変わらず意地悪いエンディングだと思う。
映画を作家から語ることはすまいと思いつつ、やっぱりこんなことを考えずにはおかせない映画、そしてデパルマ。老いてなお「ファム・ファタール」を作ったときにこの人はすごいと心底思った。けれど、過去の自分の映画をリダクトしようとして、それをやってしまった人なのだとしたら、この人はとんでもなくすごいんじゃないかと思った。
デパルマの映画には後悔だったり、不安だったりを抱え続けて生きる主人公がいっぱい出てくる。映画を完成させるということも、後悔や不安を抱え続けなければならないことを覚悟することなのかもしれない。
しかし、その後悔や不安と「リダクテッド」のような映画を作ることで折り合いをつけることができるのかもしれない。または、デパルマの頭の中には彼の人生が映画のように流れていて、シーンやカットが入れ替わったり、違う見せ方に変わったりし続けているのかもしれない。
実際のところ彼がどう考えているのかを知ってる訳じゃないし、別に知りたいとも思わないし、彼が「こう考えている」と言ったとしてもそれが必ず正しいとも思っていない。ただ、僕はこういうジジイになりたいと思っている。
かっこいいよ、デパルマ!
日曜
久しぶりに丸の内線と銀座線を乗り継いで渋谷へ
東急文化会館がないのは寂しいね
ジョナサンで朝ご飯
シアターNでリダクテッド
最前列が最良かと
カジュアリティーズと似たような話
というよりは、作り直しなのかもと考える方がすっきりする
リダクトってそんな意味だったりするのかな
Webの動画やチャットの使い方が秀逸
ティーポットの良いのがないね
初めての副都心線
にゅうめんで遅い昼食
上から目線かな