空中庭園 - 角田光代

空中庭園

既視感のあるものごとが面白い組み合わせで用意され、心地よかったり、分かりやすかったりする順番で、テンポよく提示されていく。そのような構成を組み立て、ひとつの物語にしていく作業が容易ではないことは想像に難くない。この本もそのような性質を持つものである。

しかし、発見やおどろきや実用性が不足しているように感じてしまった。僕が物語よりも、説明文やエッセイを好むのは、筆者が提示する主張だったり、発見だったりを分かりやすく読み取ることができるからなのかもしれないと、この小説を読みながら、または読み終わってふと思った。

この小説に出てくる人々を覗き見ることはとても楽しい。見たことのある風景も、感じたことのある心象もしばしば登場するし、それに対する作者なりの解釈や考えを心地よく読み取ったような気持ちになることだって何度もあった。でも、それを超える何かを見ることはできなかった。

すべての本に毎度毎度大発見が含まれていたら、読み手としてもそれは大変なのだろうと思うし、大発見を提示するための本ばかりではなくて、「さりげない日常をユニークな視点でみずみずしく描く」みたいな本もあって(そういう描写を提示すること自体だって大発見かもしれない)、僕はあまりそういう本には触れてこなかったし、触れたとしてもそれほど心に響きを感じない、と。

そもそも、僕は本を読むのが遅いから、あんまりさりげない内容の本は、読むのにかかる時間的コストと、読んで得られる何かとの費用対効果があまりよくないというだけなのかもしれない。

そういえば、「間宮兄弟」を読んだときにも、そんな感想を持ったかもしれない。