YMOデリックナイトのこと

その昔、YMOコピーバンドをやっていて、ライブハウスで演奏させてもらう機会が時折あった。

大概のライブは1バンドの持ち時間が30分~40分くらい。ライブに使う機材が多くて、セッティングにも撤収にも時間がかかったから、ライブハウスのスタッフや他の出演バンドはあまり良い気分がしなかっただろうと思う。僕なりに気は使っていたつもりで、できるだけ早くセッティングできるよう、できるだけ早く撤収できるよう、いろんな方法を考えたり試したりした。演奏はうまくないんだから、そんなことする間に練習すればいいのにと思わないではないけれど、ライブって演奏だけじゃなくて、ステージに上がるところから撤収がおわるところまでがライブだと思ってたから、段取りがうまくいくと演奏がうまくいかなくても、ちょっとだけ嬉しく思えたりもした。

最初の頃は自分じゃない人がリーダーをやってるバンドに参加させてもらっていた。面白かったけれど、自分の思い通りにいかないことが少なくなくて、ストレスを感じたりもした。1個のバンドに求めるものはメンバーの数だけあるのだから、100点をメンバーの数で割った点数を取れれば及第、というのが僕の考えだけれど、徐々に「もっとやりたいとおりにやりたい」と思うようになった。で、自分がリーダーのバンドをやることにした。

それが1996年の春のこと。

ちょうどパソコン通信とかインターネットに触れるようになった時期で、メンバーニフティサーブで見つけたり、お客さんをメーリングリストで見つけたりして、ネットワークの恩恵をこの上なく大きく受けて、バンドはどんどんうまくいくように思えた。それまでは友達にお願いしてライブを見に来てもらっていたのに、ネット上で告知すればそれなりの数のお客さんが来てくれたりする。なんとうれしいことか。

ライブを何度かおこなっていて、しばしばお客さんから「YMOだけのライブだったらもっと良い」という意見をいただくことがあった。僕達のバンドの持ち時間以外は、YMOとは関係ない、というかオリジナルの楽曲を演奏するバンドさんが出演していて、それはそれで面白いと思うんだけれど、お客さんの言ってることもわからないではなかった。

当初、ライブに出演するときには他のバンドさんが段取りをした企画に僕等のバンドが出させてもらう形式であることが多かった。自分がリーダーのバンドをやれば自分の思ったことをより多くできると思ったときと同じで、僕が自分がライブハウスにお願いしてライブを開催させてもらうようにしようと思った。で、実際にやってみたところ、それは特につまづくことなく終えることができた(と、少なくとも僕は思っている)。

これが1996年9月のこと。

この頃までに、自分達以外にもYMOのコピーをやっている人やバンドがいることはネットを通じて知っていた。この人たちと一緒にライブをやれば、 YMO関連の楽曲だけで2時間以上を埋め尽くすライブができるんじゃないかと思った。で、やってみることにした。このライブの名前は、当時作っていた自分のウェブのタイトルの一部をとって「YMOデリックナイト」にした。

YMOデリックナイトのための準備において、そしてライブそのものにおいて、いいことがたくさんあり、大変なことも同じくらいたくさんあった。ステージに並ぶいろんな機材に興奮したし、たくさんのお客さんに驚いたし、リハーサルが予想していた以上に長引いて困ったり怒ったりしたし、ライブハウスとの調整に焦ったりもした。うまくいかないことがあると泣きそうになったけれど、何かがうまくいくごとに大声で笑ったりしたはずだ。正直、細かいことは覚えていないような、でもこうして書いていると断片がどんどん頭の中にでてくるような。

会場にはYMOを好きな人たちがたくさんいた。本当にたくさんいた。喜んでくださった人もいただろうし、気分を害した人もいるだろうと思う。僕がお客さんとしてこのライブを見に行ったら怒っていたかもしれない。幸い、僕はお客さんにはならなかった。

僕はライブ会場で、自分にとって都合の良い部分だけをどんどん吸い込んで、どんどんいい気持ちになっていったのではないかと思う。20年近く前、中学生だった頃のYMOが大好きで大好きで仕方がなかったころの自分をタイムマシンで連れてきてやりたいと思った。中学生の僕は「バカなことやってんじゃねぇよ」と怒ったかもしれないが、彼も30過ぎのオジサンになれば分かってくれただろう。

1997年2月11日。10年前の今日が、YMOデリックナイトが初めて開催された日だ。

10年前の今頃、僕はライブの片付けを追え、ライブに疲れたメンバーとコンビニの前でサヨナラして、他のバンドの打ち上げに少しだけ顔を出した後に、家族が運転する車の助手席にいた。家に向かう道で、僕は涙が止まらなくなった。オエっとか言いながら泣いたように記憶している。

そのときに口から出た言葉は多分支離滅裂なものだったのだろうと思うけれど、まとめると「みんなYMOが好きだったよね、すごかったよね」みたいなことを言っていたし、僕の頭の中にはそんな考えがグルグル回っていたように覚えている。中学生のころ、YMOブームと言われた時期があったし、その後、新宿コマ劇場YMOを見に行ったこともあったし、周囲にYMOを好きだと言っている人がいなかった訳でもなかったのだけれど、YMOを好きな人との一体感みたいなものを感じたのはこのときが初めてだったのかもしれない。または、これまでにないほど強烈に、YMOへの愛情が詰まった空間に身をおくことができたことに感激していたのかもしれない。

その後、YMOデリックナイトは毎年1回、2000年まで開催された。毎度毎度、それは楽しい時間だった。あの時はよかった、と考えてしまうと、まるで今の自分を否定してしまったり、将来における何かへの意欲を薄めてしまうのではないかと不安になってしまうのではあるが、ときどきであれば、自分のとてもとても大事な過去の時間を大切に思い返してよい気持ちになってよいにちがいない、と開き直ってしまおう。

YMO大好き。