search/サーチ

映画の内容について書きます。知りたくない方は注意。

アジアの映画なのかと思ったらアメリカが舞台で、話しことばも英語だった。家に帰ったあたりで「新しいスター・トレックのスールーの人だ」と気づいた。最近、役者さんの顔をほとんど覚えられない。これはこれで映画を楽しめるので、うれしく能力(というか能力の欠如)だと思っている。

ネットとかコンピュータの描写は面白い。でも、描かれる物語がもっと面白いといい。観ているときはそう思った。謎の解き明かし方のバリエーションが少ないとか、そのタイミングで提示されるということは真実じゃないよねとか。

描かれていることがネットとかコンピュータで「普通にできることだけ」だった。翌朝になってからそう思った。こういう映画は結構めずらしいんじゃないかしら。

映画でネットやコンピュータを描くとき、画面のデザインや動きがその映画独自にデザインされたもので、それがいまひとつピンとこないことがある。権利の問題だったり、観客に分かりやすいようにだったりの事情があるのだろうけれど、映画独自のものが現実世界に比べてイマイチな仕様であるゆえに温度がちょっと下がってしまう。

いいデザインを考えたなら映画に出すよりGoogleAppleに持ち込むでしょう。現実世界のUIたちには途方もない才能と労力とお金とフィードバックが投入されている。限られたリソースで作られた映画の小道具に何を言ってるんですか。そういうものなのかもしれない。

「search/サーチ」はネットやコンピュータをありものだけで描く。2018年のネットやコンピュータがこんな感じであるという描写を過不足なしで。そこが美点であり、かつ面白がりどころなんじゃないかと思う。

チャットのメッセージをポストするまでに何度も書き直すとか、相手がメッセージ書き途中であることを示す点滅にソワソワするとか、「タンブラー」をGoogle検索して「もしかしてTumblr」と言われるとか。たしかに、なかなかおいしくいただきました。